週刊新潮に「遺構が突如現れた浅草十二階と漱石、啄木の足跡」という記事が載りました。
1890年に東京は浅草に建った建物、凌雲閣。日本初の12階建てエレベーター付きの塔だったそうで、その当時は「浅草十二階」と呼ばれ、東京のシンボルだったそうです。が、1923年の関東大震災で倒壊してしまいます。
小説やら映画やらで名前は知ってましたが、当然私はどんな建物か見たことはありません。この凌雲閣の遺構が先日ビル工事現場から発見されたそうです。実は十二階の正確な位置って分かていなかったそうです。
意外ですね。当然建っていたところくらい分かっていたと思ていたのですが、後でどこにあったか分からないくらい関東大震災で全てのものが壊れてしまったということでしょうか?
浅草十二階は文化財でもなんでもないので浩司は中止にならずにそのまま進むと言うことで、その遺構もすべて破壊されるようです。大昔の遺跡、飛鳥時代とか奈良時代の遺跡って大切に保存されたりしますが、江戸時代やら明治時代の遺跡って大切にされないから、近代の歴史研究者が遺跡が保存されないとぼやいているなんて話も聞いたことありますが、そういうことのようです。
もし、建物自体が残っていたら、明治時代の重要な建築物として保存されるのかもしれませんが。
凌雲閣の名前は夏目漱石の「坊ちゃん」や石川啄木の「一握の砂」に名前が出てきます。
新潮を読んでいると田山花袋は「浅草十二階の眺望」なんてエッセイを書かれています。
江戸川乱歩の短編「押絵と旅する男」にも浅草十二階が登場するのだとか。
永井荷風はあまり浅草十二階が好きじゃ無かったそうで、あそこは東京の人間が行くところじゃなくて、観光客が行くところだと思っていたのだとか。
今でいうと東京タワーとか東京スカイツリーみたいなもんでしょうか?
当時は十二階の建物が一番高い、それも頭抜けて高かった時代。浅草どころか東京の建物の多くが平屋だった時代。
富士山なんかも見えたのかもしれません。空も綺麗だったろうし。
なんか、凌雲閣も見てみたいけど、登って当時の東京の街を見下ろしてみたいものです。
私は京都人ですからね。東京行ったら観光してみたい。
今、凌雲閣が残っていたら、周りの高い建物に隠れてかわいい感じになってたかもしれませんね。札幌の時計台みたいに