ブラタモリ 萩が世界遺産になぜなったかを解き明かすというお題です。
タモリさんは初めて萩に来たそうです。
萩焼の店が並びます。萩市って日本海に面してるんですね。長州藩の城下町。
年間240万人が訪れる観光スポットだそうです。
萩博物館館長の清水満幸さんが最初の案内人です。
萩城が半島の先の方にあって、川のすぐ横に「掘内」という城下町があります。この町を作ったのが毛利輝元。
関ケ原の合戦に敗れた毛利輝元が今まで住んでいた広島を追われて、山口に作ったのがこの萩市です。それまで人が住んでなかったんですね。萩って。
まずは萩の城下町を歩きます。菊屋家住宅という1600年に建てられた住宅が。
なんか、白壁の蔵みたいな家が多いな。武家屋敷がそのまま残ってるそうです。石組も江戸時代のまま。
萩市からは4人の総理大臣が出ている。伊藤博文、山形有朋、桂太郎そしてもう一人。
そのもう一人の総理大臣が生まれたのも萩市。田中義一。26代内閣総理大臣。
なんか、タモリさんのおじいさんが田中義一を尊敬していて、本当はタモリさん義一って付けられる予定だったんですが、姓名判断で良く無いと言うことで一義に変わったそうです。
へぇー。
高杉晋作が誕生した場所にも行きます。
この辺りにくると萩の町の特徴がよく見えてくるそうです。なだらかな下り坂ですね。その坂を下ってみます。
夏ミカンがあちこちになってます。
萩の地形図を出してこられました。もともと高い土地なんですね。海に向かって高くなっている。
海辺が砂丘になってるそうです。萩の町自体は三角州だそうです。
毛利藩の重臣たちは高くなっている土地に住んでいたそうです。地盤が強いから。
高台は人が住むところに使われて、低地は何に使われてか?そのおかげで萩は世界遺産になったそうです。
つぎは低い土地に移動します。三角州のど真ん中。
そこには萩市役所や消防署、郵便局、商業施設が集まっています。
さらに明倫館という長州藩の藩校跡地があります。明倫館って1万5000坪もあったそうです。東京ドームがすっぽり入る。
明倫館の跡地に一行は入ります。
そこには水練池があります。水泳の練習をしていた池。要はプール。
この池は水が絶えたことが無いそうです。人工的に水を入れたんじゃないんだ。
昔の絵地図を出してこられました。
明倫館の周りは湿地帯だったと。川からの洪水でよく水没したそうです。
京都で言うと巨椋池跡地みたいな感じのところかな。
人が住んでいない広大な空き地がありその空地に明倫館を建てた。明治維新後にこの広大な湿地帯に市役所や消防署、県の庁舎、図書館、中央公園に商業施設といろんなものが建てらえました。明治以降近代化が進んで他の地区では昔の城下町をつぶして市役所やら公共施設を作ったけど、萩は広大な湿地があったから、城下町をつぶさなくて済んだので城下町がそのまま残った訳ですね。
萩の町ができて400年、湿地や砂丘が崩れもせずに残っているのはとても珍しいそうです。湿地や砂丘って崩れやすいものなのに萩の町が残ったのには訳があるそうです。
あるところに行くとその理由がはっきりすっきり分かるそうです。
明倫館の古い門の前に来ました。
日頃は開かない門ですが、今日は開きます。自動です。当然NHKのスタッフの人が後ろから開けてるんだろうけどね。
タモリさんが毛利輝元になった気分で門をくぐると、案内人の人に幕末だから毛利敬親公かと、と突っ込まれてます。
町づくりの決め手がそこにあるそうです。地面には石畳がある。
玄武岩?と一瞬タモリさんは言いますが、よく見て安山岩だと言い直しました。
安山岩は固く丈夫で、そのおかげで萩の町が保たれた。萩の三角州、ありとあらゆるところに安山岩が敷き詰められているそうです。
横の側溝にも安山岩が使われているそうです。
では、安山岩をどこから運んで来たか?火山性の石ですが、どこかに火山が?
萩の近辺に火山があると。
ではそこに移動しましょう。
城下町から7kmほど離れた半島に向かいます。萩城下町の対岸だそうです。
遠くから見ると、萩の町は平らに見える。
海岸を歩くと木の陰に人が。白井孝明さんという萩市ジオパーク推進課の方。次の案内人です。もともと静岡の方だとか。
海岸をみるとごつごつした、黒い岩がたくさんあります。
岩場に近づきます。タモリさん岩場は好きじゃないそうです。石は好きだけど。
表面が平な感じの岩ですね。あんまり凸凹してない。
ここが江戸時代の石切り場だったそうです。こんな海岸で石を切り出してたんだ。
のみの後がありますね。金属のくさびを打ち込んで石を割ってたんでっすね。人が割っていったから、平になってるのね。
この石を切り出して、船で対岸の萩まで運んだ訳ですね。
陸路ですと迂回しないといけないので7kmかかりますが、直線では2.5kmしかない。
まさに「石材適所」とタモリさんが言ってます。
では、この辺りに火山はあるかというと、一見見当たりませんが、台地みたいなものがある。平たい島です。
「これは火山ですよね」とタモリさん言われてます。
べたっとした平たい島って、火山らしいです。
近くの展望台に行くとその謎が解けるとか。
展望台にのぼってみます。平たい島が点々とあります。
「これは全部火山です。この形は典型的な火山の形です。」とタモリさん言われてます。
「比較的柔らかい溶岩がでりゃーっと流れて」平たい山になるそうです。
キラウエア火山のようなもんですな。
実はそういう火山が海だけじゃなくて陸地にも転々とあるそうです。
阿武火山群というそうです。
そういえば、昔、ハワイ辺りで海底火山が噴火してできた島が長い年月をかけて移動して、山口県にぶつかって、秋吉台の鍾乳洞ができたというVTRを見た記憶があるな。
では海中の溶岩を見てみることに。海中の溶岩はウニやアワビの住処となるそうです。そのウニやアワビが長州藩の財政を支えたのだとか。
海士(あまし)の中村喜一郎さんがウニやらアワビやらの海の幸を持って来られました。
タモリさんがウニを食べる。中村さんのお孫さんはウニを二段にしてウニ丼を食べるのだとか。なんと贅沢な。
タモリさんは石切り場と城下町の中間地点の場所に行きます。そこにある世界遺産があるのだとか。
そこに熱い学芸員がいらっしゃいます。なんか磨いてらっしゃいますが。
萩博物館主任研究者の道迫真吾さん。
自称世界遺産の伝道師だそうです。
萩反射炉の紹介をされます。
なんか、石造りの角が二つでたような建物。
おお、海洋堂で反射炉のフィギュア作ってるんだ。これ、買う。大きさどれくらいだろう!!めっちゃ欲しい。
と思って、大きさ調べたらめっちゃちっさい。カプセルに入ってるおもちゃみたいな大きさ。これはいらんな。
興奮してしまった。失礼しました。
反射炉は幕末に大砲を作るために作られました。
この反射炉も安山岩でできてます。中を見ると煙突がある。
中はちゃんと石が積んでありますが、外側は雑です。
この反射炉で鉄は溶かせたのだろうか?
実は鉄はできなかったそうです。鉄のようなものはできたかもしれないと。
実は失敗作だったそうです。資料が手に入らなくて、簡単なスケッチを参考に作ったのですが構造的に問題があって鉄ができなかったのです。
では、なんで失敗作が世界遺産になったのか?
成功してないから世界遺産になったのかなぁ?とタモリさんはつぶやきます。
なんとか鉄を作りたいと試行錯誤した証拠として、世界遺産になったそうです。一歩後退、二歩前進。
萩の人たちの情熱が世界遺産になったんだと。
再び城下町に戻ります。明治維新後も萩の町を守り抜いたものを見に行きます。
外堀の内側、堀内と呼ばれた地区。ここは上級武士が住んでいたところだそうです。
江戸時代の城下町の地図と、今の地図を見比べます。道は同じです。町の区割りが変わってません。
屋敷の地割もそのまま残ってるし、屋敷の土塀もそのまま残ってます。だから、世界遺産になるんです。
では、その区割りを守ったものはなにか?
また、城下の道を歩きます。
上級武士が住んでいたところですが、明治維新後その上級武士は萩を離れていきます。
そうなると家は空き家になって荒れ果てる筈ですが。
タモリさんあることに気が付いた。
ミカン畑?
なんと、武家屋敷跡をミカン畑にしたそうです。明治維新後に職を失って困った下級武士はみかんの栽培をして、大成功。萩の主要産業となったそうです。
屋敷の壁が夏ミカンの風よけとして使われたために屋敷の地割がそのまま残ったそうです。
土塀も残った。だから、世界遺産になった。
町を守ったのが夏ミカンだったのですね。
タモリさんがとれたての夏ミカンを食べます。ミカン農家の藤本郁雄さんがみかんを切ってタモリさんと林田アナウンサーに手渡します。
おいしいそうです。
タモリさんは今のくだものは甘ければいいという傾向にあって、日本の果物は甘みと酸味のバランスなのに甘みの方にだんだん行くのが許せないそうです。そういう意味で、萩の夏ミカンは絶妙だそうです。
タモリさんのお気に入りとなりました。