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Channel: 毒舌家で行こう!
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東山魁夷って名前は知ってるけど、どんな画家はよく知りませんでした。

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 今、京都の国立近代美術館で東山魁夷展ってのがやってます。見に行く予定は無いですが。

 

 

 

 

で、東山魁夷って画家さんのお名前は知ってるんですが、どんな画家かは知らなかったので、調べてみました。

 

東山魁夷さんは1908年、明治41年生まれ。当然本名ではありません。本名は東山新吉だそうです。

 

ヨコハマで生まれました。お父さんは日商岩井の前身である、鈴木商店という船具商の会社に勤めておられました。

船具商って今で言うと、商社のことらしいです。お父さんが独立して神戸で小さな船具商を経営することとなり、魁夷は神戸に引っ越します。

 

魁夷は外に出て遊び回るタイプでは無くて、閉じこもって絵本を読んだり、絵を描いたりする少年だったそうです。第二神戸中学校に進学するも3年生の時に1か月くらい休みます。人との関りを嫌う性格が災いしたそうです。

 

 そんな時、国文法の先生、植栗先生に出会い、魁夷の絵を褒めてくれ、いろんな展覧会に連れて行ってくれたそうです。

このことで、魁夷は絵描きを目指すようになります。5年生の時に担任の坂部先生に相談。

先生は反対する父親を説得してくれて、魁夷は東京美術学校に進むことになります。

 最初は親の命令もあり、日本画を志した魁夷は帝展に連続入選します。その頃にお兄さんを結核で亡くします。

美校卒業後、アルバイトして貯めたお金でドイツに私費留学します。

ベルリンの留学は2年ほどだったそうです。お父さんが病気となったために早期で帰ったそうです。

 ドイツ留学中に描いたスケッチなんかもたくさん残ってます。

 ドイツから帰国後に魁夷は結婚しますが、母が倒れ、弟が結核で入院。お父さんが急死と不幸に民話れます。

家業が破産寸前だったこともあり、その家業を整理して借金を返したそうです。

この間、魁夷の絵はあまり評価されなかったそうです。

戦争になり、魁夷のところにも召集令状が届きます。熊本の舞台に配属されますが、戦後元気に戻ってきます。

 

が、お母さんと弟はお亡くなりになります。

魁夷は千葉県の市川市に引っ越して、画家として再出発します。

 

1946年風景画「残照」を千葉県の鹿野山山頂に夕日が沈みゆく風景を描きます。

この絵で魁夷は日展の特選を得て、画壇に認められるようになります。

特に「道」という作品はただ、山に道が一本あるだけの風景ですが、魁夷の代表作となります。

 

 

 

場所は青森県種差海岸だそうです。

 

 

青響なんて作品も発表されます。

 

人気が画家となった魁夷ですが、自然と触れ合って絵を描く時間が制限されてきたために遠い国へ行って絵を描くことに没頭したいと思われたそうです。半年ほどの間、北欧諸国を旅します。

 

デンマーク、スウェーデン、ノルウェー、フィンランドと旅して絵を描き続けます。

この北欧の旅から、魁夷は「青の画家」というイメージが一般に浸透していったそうです。

 

 

 

 

古き町にてというリトグラフを添えた本を出版。100部限定だったそうです。1部幾らしたのだろう?

 

 

北欧だけに寒そうな風景が多いですね。

 

その後、魁夷は京都によく訪れるようになります。川端康成に勧められたらしいですけど。

宮内庁から皇居新宮殿に据えられる大壁画の製作を依頼されたこともあり、京洛四季の連作とほぼ同時進行で行われたそうです。

 

 

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この時に作られた壁画が「朝明けの潮」皇居の中にあるから、テレビの映像でちらっと見ることがあるかなぁ?くらいの絵でしょうね。

京洛四季に収められた絵ってのが結構有名で「花明かり」って作品。夜桜が綺麗です。

 

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1969年から魁夷はドイツ、オーストリアに旅立ちます。ドイツ、オーストリアの古都がテーマだったのだとか。

 

日本の古都、京都とドイツ・オーストリアの古都を対照して描こうと考えたようです。

 

 

 

1972年からは白馬が出てくる絵をたくさん描かれます。

本製作された作品として13作ほどあるそうです。

 

 

 

青い森の中、湖のほとり、田園地帯、水辺、紅葉の中、海辺といろんなところを白馬が歩いています。

 

65歳からは水墨画の世界に入って行かれます。唐招提寺の壁画制作です。暁曇って作品見ると、水墨画には見えないな。

 

 

中国にも旅して水墨画を書かれてます。

 

 

唐招提寺の障壁画作業が終わったのが73歳。それ以降は水墨画から前の色彩豊かな絵に回帰しています。

 

もう長旅はできなくなっていたので、以前に書いたスケッチを元に絵を描かれていたようです。

 

 

 

東山魁夷さんは90歳でこの世を去られます。

 

やっぱり、風景画がいいですなぁ。心が休まる。

 

 


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